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鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうと焦(あせ)る体(てい)であるがなかなか筆は動かない。「焼芋を食うも蛇足(だそく)だ、割愛(かつあい)しよう」とついにこの句も抹殺(まっさつ)する。「香一 もあまり唐突(とうとつ)だから已(や)めろ」と惜気もなく筆誅(ひっちゅう)する。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃(おはい)しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮(ふる)って原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間を究(きわ)め、空間に死す。空たり間たり天然居士(てんねんこじ)噫(ああ)」と意味不明な語を連(つら)ねているところへ例のごとく迷亭が這入(はい)って来る。迷亭は人の家(うち)も自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然(ひょうぜん)と舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼(きがね)、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。

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