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主人のうちへ女客は稀有(けう)だなと見ていると、かの鋭どい声の所有主は縮緬(ちりめん)の二枚重ねを畳へ擦(す)り付けながら這入(はい)って来る。年は四十の上を少し超(こ)したくらいだろう。抜け上った生(は)え際(ぎわ)から前髪が堤防工事のように高く聳(そび)えて、少なくとも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出している。眼が切り通しの坂くらいな勾配(こうばい)で、直線に釣るし上げられて左右に対立する。直線とは鯨(くじら)より細いという形容である。鼻だけは無暗に大きい。人の鼻を盗んで来て顔の真中へ据(す)え付けたように見える。三坪ほどの小庭へ招魂社(しょうこんしゃ)の石灯籠(いしどうろう)を移した時のごとく、独(ひと)りで幅を利かしているが、何となく落ちつかない。その鼻はいわゆる鍵鼻(かぎばな)で、ひと度(たび)は精一杯高くなって見たが、これではあんまりだと中途から謙遜(けんそん)して、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかかって、下にある唇を覗(のぞ)き込んでいる。かく著(いちじ)るしい鼻だから、この女が物を言うときは口が物を言うと云わんより、鼻が口をきいているとしか思われない。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称して鼻子(はなこ)鼻子と呼ぶつもりである。鼻子は先ず初対面の挨拶を終って「どうも結構な御住居(おすまい)ですこと」と座敷中を睨(ね)め廻わす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言ったまま、ぷかぷか煙草(たばこ)をふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありゃ雨洩(あまも)りか、板の木目(もくめ)か、妙な模様が出ているぜ」と暗に主人を促(うな)がす。「無論雨の洩りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭がすまして云う。鼻子は社交を知らぬ人達だと腹の中で憤(いきどお)る。しばらくは三人鼎坐(ていざ)のまま無言である。

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