吾輩と鈴木君の間に、かくのごとき無言劇が行われつつある間に主人は衣紋(えもん)をつくろって後架(こうか)から出て来て「やあ」と席に着いたが、手に持っていた名刺の影さえ見えぬところをもって見ると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に処せられたものと見える。名刺こそ飛んだ厄運(やくうん)に際会したものだと思う間(ま)もなく、主人はこの野郎と吾輩の襟(えり)がみを攫(つか)んでえいとばかりに椽側(えんがわ)へ擲(たた)きつけた。
「さあ敷きたまえ。珍らしいな。いつ東京へ出て来た」と主人は旧友に向って布団を勧める。鈴木君はちょっとこれを裏返した上で、それへ坐る。
「ついまだ忙がしいものだから報知もしなかったが、実はこの間から東京の本社の方へ帰るようになってね……」
「それは結構だ、大分(だいぶ)長く逢わなかったな。君が田舎(いなか)へ行ってから、始めてじゃないか」
「うん、もう十年近くになるね。なにその後時々東京へは出て来る事もあるんだが、つい用事が多いもんだから、いつでも失敬するような訳さ。悪(わ)るく思ってくれたもうな。会社の方は君の職業とは違って随分忙がしいんだから」
「十年立つうちには大分違うもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見下ろしたりしている。鈴木君は頭を美麗(きれい)に分けて、英国仕立のトウィードを着て、派手な襟飾(えりかざ)りをして、胸に金鎖りさえピカつかせている体裁、どうしても苦沙弥(くしゃみ)君の旧友とは思えない。
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