長火鉢の傍(そば)に陣取って、食卓を前に控(ひか)えたる主人の三面には、先刻(さっき)雑巾(ぞうきん)で顔を洗った坊ばと御茶(おちゃ)の味噌の学校へ行くとん子と、お白粉罎(しろいびん)に指を突き込んだすん子が、すでに勢揃(せいぞろい)をして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蛮鉄(なんばんてつ)の刀の鍔(つば)のような輪廓(りんかく)を有している。すん子も妹だけに多少姉の面影(おもかげ)を存して琉球塗(りゅうきゅうぬり)の朱盆(しゅぼん)くらいな資格はある。ただ坊ばに至っては独(ひと)り異彩を放って、面長(おもなが)に出来上っている。但(ただ)し竪(たて)に長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化し易(やす)くったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考える事がある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長の速(すみや)かなる事は禅寺(ぜんでら)の筍(たけのこ)が若竹に変化する勢で大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後(うし)ろから追手(おって)にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空漠(くうばく)なる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片付けなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片付ける手腕のない事も自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義を云うとほかに何にもない。ただ入(い)らざる事を捏造(ねつぞう)して自(みずか)ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。
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