床の間の前に碁盤を中に据(す)えて迷亭君と独仙君が対坐している。
「ただはやらない。負けた方が何か奢(おご)るんだぜ。いいかい」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとく山羊髯(やぎひげ)を引っ張りながら、こう云(い)った。
「そんな事をすると、せっかくの清戯(せいぎ)を俗了(ぞくりょう)してしまう。かけなどで勝負に心を奪われては面白くない。成敗(せいはい)を度外において、白雲の自然に岫(しゅう)を出でて冉々(ぜんぜん)たるごとき心持ちで一局を了してこそ、個中(こちゅう)の味(あじわい)はわかるものだよ」
「また来たね。そんな仙骨を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎる。宛然(えんぜん)たる列仙伝中の人物だね」
「無絃(むげん)の素琴(そきん)を弾じさ」
「無線の電信をかけかね」
「とにかく、やろう」
「君が白を持つのかい」
「どっちでも構わない」
「さすがに仙人だけあって鷹揚(おうよう)だ。君が白なら自然の順序として僕は黒だね。さあ、来たまえ。どこからでも来たまえ」
「黒から打つのが法則だよ」
「なるほど。しからば謙遜(けんそん)して、定石(じょうせき)にここいらから行こう」
「定石にそんなのはないよ」
「なくっても構わない。新奇発明の定石だ」
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