近頃は勝手口の横を庭へ通り抜けて、築山(つきやま)の陰から向うを見渡して障子が立て切って物静かであるなと見極めがつくと、徐々(そろそろ)上り込む。もし人声が賑(にぎや)かであるか、座敷から見透(みす)かさるる恐れがあると思えば池を東へ廻って雪隠(せついん)の横から知らぬ間(ま)に椽(えん)の下へ出る。悪い事をした覚(おぼえ)はないから何も隠れる事も、恐れる事もないのだが、そこが人間と云う無法者に逢っては不運と諦(あきら)めるより仕方がないので、もし世間が熊坂長範(くまさかちょうはん)ばかりになったらいかなる盛徳の君子もやはり吾輩のような態度に出ずるであろう。金田君は堂々たる実業家であるから固(もと)より熊坂長範のように五尺三寸を振り廻す気遣(きづかい)はあるまいが、承(うけたまわ)る処によれば人を人と思わぬ病気があるそうである。人を人と思わないくらいなら猫を猫とも思うまい。して見れば猫たるものはいかなる盛徳の猫でも彼の邸内で決して油断は出来ぬ訳(わけ)である。しかしその油断の出来ぬところが吾輩にはちょっと面白いので、吾輩がかくまでに金田家の門を出入(しゅつにゅう)するのも、ただこの危険が冒(おか)して見たいばかりかも知れぬ。それは追って篤(とく)と考えた上、猫の脳裏(のうり)を残りなく解剖し得た時改めて御吹聴(ごふいちょう)仕(つかまつ)ろう。
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