「君遊びに来たのか」
「そうじゃないんです」
「それじゃ用事かね」
「ええ」
「学校の事かい」
「ええ、少し御話ししようと思って……」
「うむ。どんな事かね。さあ話したまえ」と云うと武右衛門君下を向いたぎり何(なん)にも言わない。元来武右衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずる方で、頭の大きい割に脳力は発達しておらんが、喋舌(しゃべ)る事においては乙組中鏘々(そうそう)たるものである。現にせんだってコロンバスの日本訳を教えろと云って大(おおい)に主人を困らしたはまさにこの武右衛門君である。その鏘々たる先生が、最前(さいぜん)から吃(どもり)の御姫様のようにもじもじしているのは、何か云(い)わくのある事でなくてはならん。単に遠慮のみとはとうてい受け取られない。主人も少々不審に思った。
「話す事があるなら、早く話したらいいじゃないか」
「少し話しにくい事で……」
「話しにくい?」と云いながら主人は武右衛門君の顔を見たが、先方は依然として俯向(うつむき)になってるから、何事とも鑑定が出来ない。やむを得ず、少し語勢を変えて「いいさ。何でも話すがいい。ほかに誰も聞いていやしない。わたしも他言(たごん)はしないから」と穏(おだ)やかにつけ加えた。
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