主人は座布団(ざぶとん)を押しやりながら、「さあお敷き」と云ったが毬栗先生はかたくなったまま「へえ」と云って動かない。鼻の先に剥(は)げかかった更紗(さらさ)の座布団が「御乗んなさい」とも何とも云わずに着席している後(うし)ろに、生きた大頭がつくねんと着席しているのは妙なものだ。布団は乗るための布団で見詰めるために細君が勧工場から仕入れて来たのではない。布団にして敷かれずんば、布団はまさしくその名誉を毀損(きそん)せられたるもので、これを勧めたる主人もまた幾分か顔が立たない事になる。主人の顔を潰(つぶ)してまで、布団と睨(にら)めくらをしている毬栗君は決して布団その物が嫌(きらい)なのではない。実を云うと、正式に坐った事は祖父(じい)さんの法事の時のほかは生れてから滅多(めった)にないので、先(さ)っきからすでにしびれが切れかかって少々足の先は困難を訴えているのである。それにもかかわらず敷かない。布団が手持無沙汰に控(ひか)えているにもかかわらず敷かない。主人がさあお敷きと云うのに敷かない。厄介な毬栗坊主だ。このくらい遠慮するなら多人数(たにんず)集まった時もう少し遠慮すればいいのに、学校でもう少し遠慮すればいいのに、下宿屋でもう少し遠慮すればいいのに。すまじきところへ気兼(きがね)をして、すべき時には謙遜(けんそん)しない、否大(おおい)に狼藉(ろうぜき)を働らく。たちの悪るい毬栗坊主だ。
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